「遺伝的要因のおそろしさ」発言をめぐる問題
今回は、東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授(日本教育学会会長)がXに投稿した「遺伝的要因のおそろしさ」という発言をめぐる問題と、キャンセル・カルチャーの問題点を振り返りたいと思います。
2026年9月1日、東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀氏は、三笠宮家の彬子女王・瑶子女王の顔画像付きの投稿を引用し、次のように書きました。
“この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる。露出の増加が逆効果になるかもしれない”
引用元の投稿は、皇族費の増額報道を受けて、「麻生の血筋から天皇を出すんですか」などと書いたものでした。彬子女王は麻生太郎氏の姪にあたるため、本田氏の投稿は、血縁・遺伝と特定の人物に対する否定的評価を結びつけたものとして受け止められ、批判が広がりました。
遺伝・血統と否定的評価を結びつけた表現
この発言が問題視される第一の理由は、特定個人の人格、性向、あるいは外見に関する否定的評価を「遺伝的要因」に結びつけ、さらにそれを「おそろしい」と表現している点にあります。
仮に本田氏が問題視したかったのが、「血縁者を優遇しようとする麻生太郎氏の行為」だったのであれば、「血縁者」「親族」といった言葉を使い、「親族であることを理由に優遇しているのではないか」と問えばよかったはずです。
にもかかわらず、あえて「遺伝的要因」という言葉を選択したことが問題になりました。本田氏が実際に何を意図していたのかを投稿だけから完全に断定することはできないものの、「遺伝的要因」は、本人の努力や意思では変えることのできない生得的な性質を指すものだからです。そのため、「優生学的な発想を想起させる」「生得的属性を理由とした差別的言説ではないか」という批判が生じるのは理解できます。
地位・社会学・オープンレターズ
本田氏の発言が大きく炎上した要因は、
第一に、東京大学教授であり、日本教育学会会長でもあるという社会的立場にあります。
加えて、反論や訴訟が事実上難しい皇族を対象に、生得的属性を根拠とするように読める否定的な発言を行った点も、批判を強めたと考えられます。
第二に、本田氏の専門は教育社会学です。教育社会学は、家庭環境、社会階層、教育機会、制度など、生まれ育った環境や社会的条件が人々の人生にどのような影響を与えるかを研究する学問です。
その観点から見ると、「遺伝的要因のおそろしさ」という発言は、少なくとも本田氏がこれまで重視してきた問題意識と矛盾するように見えます。
社会的な格差や不平等を、本人の努力不足や生得的な能力だけに還元するのではなく、教育や福祉などの社会的支援によって是正していくことが重要だと考えるのであれば、遺伝的要因を持ち出して特定の人々を否定的に評価することは、どう位置づけられるのでしょうか。
第三に、本田氏は歴史学者・呉座勇一氏の鍵付きSNSでの女性研究者への揶揄・中傷をきっかけに出された2021年4月のオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」に賛同人として関わっていました。
オープンレターでは、「特定個人の解雇要求」と明記はされていないものの、呉座氏を名指しし、謝罪だけでは足りない、学界・教育・言論はそうした文化から距離を取るべきだ、と呼びかけていました。
そして、呉座氏はその後、所属機関や仕事上の関係において、懲戒処分、内定していた准教授昇格の取り消し、研究職上の処遇変更、NHK大河ドラマの時代考証から外れるといった重大な影響を受けることになりました。
一方、今回、本田氏自身の発言が「差別的ではないか」と批判された際、本田氏は、謝罪や撤回ではなく、批判者の解釈を「曲解」としたうえで、発言の対象は皇族の遺伝そのものではなく、権力者による血縁優遇への批判であり、差別意図はないという趣旨の「解説」を提示しています。
もちろん、発言の意図が差別ではなかったと本人が説明すること自体は問題ありません。しかし、過去には他者の差別的な発言について、本人の意図だけではなく、発言が置かれた社会的文脈や、それが生み出す影響を重視してきたはずです。
そうであるならば、今回も「差別する意図はなかった」という説明だけで終わらせるのではなく、自身の表現がなぜ差別的なものとして受け止められたのかについて、同じ基準で説明する必要があるのではないでしょうか。
東京大学の対応と過去の事例
所属機関である東京大学についても、対応の違いが注目されています。
報道によれば、東京大学は本田氏に対して「教育学研究科長による注意」を行ったとされていますが、懲戒処分などが行われたとは報じられていません。
これに対して、2019年11月20日、当時、東京大学大学院情報学環・学際情報学府の特任准教授であった大澤昇平氏が、自身の経営するAIベンチャー「Daisy」の採用について、「弊社Daisyでは中国人は採用しません」などと投稿した際には、東京大学情報学環が11月24日に「不適切な書き込みに関する見解」を公表し、2020年1月15日、東京大学は大澤氏を懲戒解雇したと発表しました。
東京大学の発表では、大澤氏について、国籍または民族を理由とする差別的な投稿に加え、大学所属教員の人格権を侵害する投稿など、複数の問題行為を認定したとされています。
こうした過去の事例から、「(本田氏は)他者には厳しく、自分には甘いのではないか」「(東京大学は)非常勤・任期付きなど不安定な雇用にある者には厳しく、常勤教授のような地位の高い者には甘いのではないか」という、二重基準への批判が生じています。
基準の一貫性
ここで誤解のないようにしておきたいのですが、筆者は、本田由紀教授にも呉座氏や大澤氏と同じような厳しい処罰が下るべきだと主張したいわけではありません。
問題は、処分の重さそのものではなく、差別や中傷に対する評価基準が、人物や立場によって変わっていないかということです。
他者の発言については、その人の意図だけでなく、社会的影響、権力関係、被害を受ける側の立場などを重視して厳しく評価する一方で、自分や自分に近い立場の人間の発言については、「そのような意図はなかった」「曲解だ」「文脈を見ればわかる」と説明して済ませる。
アカデミアにおいて、身内には甘く、権力を持たない相手には厳しいという実態がある。既得権益を持つか否か、雇用形態が堅牢か脆弱かによって処遇が決まるのであれば、既存の権力を強化するだけです。
それは公正さに欠けるだけでなく、「弱い立場の人間を守る」「差別やハラスメントをなくす」という理念から最も遠いはずです。
あらためて、キャンセル・カルチャーの問題
あらためて、キャンセル・カルチャーの問題を振り返りたいと思います。
筆者が最も問題だと思っている点は、キャンセル・カルチャーが「誰かを蹴落とすことが報酬化され、習慣化されるメカニズムそのもの」であることです。
