フェミニズムが「機能不全」になる理由

日本のフェミニズムと進化心理学の視点から
柴田英里 2026.10.18
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先日、以下のポストが大きくバズっていました。

“わたしは女だけれども正直なところフェミニズムが鬱陶しい。なぜ、個人として生きていけないのか。女というのは単に性別でしかなく、故に男性には劣るところはある。逆もまた然り。女は女である。
大切なのは、それよりも個々人の才や己の思考態度の方だと思っている。”

続く本人による投稿では、

  • フェミニズムの台頭自体は仕方ない面もあるが、「そこに自分を含めないでほしい」。自分の主義主張として声を上げてほしい。

  • 恩恵を受けている部分はあるかもしれないし、先人には感謝する。ただ行き過ぎには注意してほしい。

という内容が続いており、全体として「フェミニズムを拒絶する」というより、「集団としての性別アイデンティティより個人の才や思考を重視したい」「極端な方向に行ってほしくない」という個人的な立場表明に近い内容でした。

これに対して、「個人として扱われたいというのがフェミニズムの核心では」という指摘や、「教育を受ける権利や選挙権など、過去のフェミニズムの恩恵を受けているのにラベルを嫌う」ことへの是非など、様々な意見が投げかけられていました。

筆者はフェミニストですが、投稿者の主張に同意する部分が多く、また、現在のフェミニズムが女性側からうっとうしがられるという機能不全に陥っていることも理解しているつもりです。

今回は、日本におけるフェミニズムの傾向や、フェミニズム運動内部の傾向、進化心理学の視点などを踏まえ、フェミニズムの機能不全の問題を解説していきたいと思います。

自由主義と社会民主主義、フェミニズム内での対立

フェミニズムには大きく分けると2つの傾向があります。物質的幸せ以上に自立・自由を目指す古典的自由主義的(現代のネオリベラリズムに近い)傾向と、女性という集団に対し富の再分配と充実した社会保障などのセーフティネットを求める社会民主主義的傾向です。

この二つの思想的対立は、フェミニズムの思想・運動内部で激しい葛藤を引き起こしてきました。 その代表例が、1970年代末から1980年代に起こり、現在も形を変えて続いている「フェミニスト・セックス・ウォーズ」と呼ばれる論争です。

女性がポルノに出演することや性風俗で働くこと、性的な自己表現を行うことを「個人の自己決定権と選択の自由」と捉えるセックス・ポジティブ派は自由主義的です。対して、性風俗やポルノへの参入を「自由な選択」と見るのは欺瞞であり、貧困や格差、男性優位の社会構造によって「そう選択せざるを得ない状況に追い込まれている(強要された選択)」と捉え、女性に代替となる経済的セーフティネットや富の再分配を提供すべきだと考える反ポルノ・反売買春派は社会民主主義に親和性があります。

女性が競争社会に積極的に参入し、能力を発揮して幹部や起業家を目指すことを奨励するシェリル・サンドバーグ(Metaの元COO)に代表される「リーン・イン」フェミニズムは自由主義(ネオリベラル)的であり、社会民主主義派からは「特権的な高学歴・裕福な女性のための『エリート・フェミニズム』に過ぎない」と批判されます。

一方で、個人のキャリア成功よりも育児や介護といった「ケア労働」の社会化、ベーシックインカムや社会保障の充実を求める社会民主主義的なフェミニズムは、自由主義派から国家への依存を指摘されたり、「女性には自分の人生を合理的に判断する能力がない」と決めつける新たなパターナリズムであると非難されます。

「個人の『自由と自己責任』を重んじるか」「集団の『平等と保護』を重んじるか」という人間観・社会観の相違は容易に埋まるものではなく、また、どちらかに一元化されるべきものでもありません。

したがって、この観点から見れば、フェミニズム内部の対立は必然であり、必要なものだといえます。 しかし、フェミニズム内部の対立や、フェミニズムが女性側からうっとうしがられる機能不全的傾向に至る要因は、これだけではありません。

女性集団の「中央値(平均・規範的選択)への収斂」の傾向

女性の行動は男性に対して、「リスク回避傾向」や「極端な選択を避けて中央値(平均・規範的選択)に収斂しやすい傾向」があります。もちろん男女どちらの性別にも外れ値は存在しますが、平均値・中央値の傾向から見て、女性と男性の行動傾向には有意な差異があるといえます。

男性のキャリア選択が、起業家・極端な出来高制営業といった「超ハイリスク・ハイリターン」から「失業・無職」まで極端に分散する一方で、女性は公務員や大企業の安定職、医療・福祉系など、雇用の安定を求める割合が相対的に高くなります。 また、無計画な危険地帯への探検や違法スレスレの過激な遊びなど、命や社会的信用を脅かすアクティビティへの参加率は男性が圧倒的に高く、女性は安全と快適性が担保された環境でのレジャーを好む傾向があります。 犯罪統計においても、殺人・強盗・暴力行為などの重犯罪は圧倒的に男性が多くを占めています。女性に多いのは窃盗(万引き)であり、これが女性の検挙人の約7割を占めています。

つまり女性は男性に対し、「一獲千金や極端なスリルを狙って破滅的リスクを冒すことを避ける」と同時に、「社会的集団の規範や平均的な安全域にとどまることで、生存と社会的リソースを確実に守る」という行動様式を取りやすいといえるのです。

フェミニズムやジェンダー研究では、こうした「女性の傾向」とされるものを生物学的な必然ではなく、社会構造やジェンダー規範の産物として批判的に捉えます。いっぽうで進化心理学では、人類の祖先が直面した生存と繁殖上の課題(適応問題)の違いから、男女の行動傾向やリスク許容度に差が生じたと考えられています。

進化心理学とフェミニズムで見る女性の「中央値への収斂」

社会構造的なジェンダー規範の刷り込みと「合理的なリスク回避」

フェミニズムにおいては、女性は幼少期から「女の子らしく、おとなしく、危ないことをしないように」という社会的・文化的圧力を加えられること、学校教育やメディアも含め失敗への不寛容さが女性に強く向けられること、社会経済構造において女性が男性に対しより大きな脆弱性を抱えていることなどが原因とされます。その結果、不確実な社会を生き抜く合理的な戦略として、「リスク回避(平均・規範的選択への収斂)」が起きやすいと捉えられています。

親の投資と集団内のリスク回避としての協調性

進化心理学においては、生物学的にメスはオスに比べて妊娠・出産・授乳という多大な身体的・時間的コストを払い、一生の間に生み出せる子供の数に限界があるため、リスクに慎重になると考えます。また、狩猟採集社会において女性は育児を共同で行っており、相互のネットワークに依存していたため、「極端な行動をとって周囲から浮くこと」は集団からの孤立や追放を招き、生存確率を下げるため忌避されやすいと説明されます。

実際の行動傾向には、生物学的な要因と社会的・環境的要因の双方が複雑に絡み合っていると考えられます。そして、リスク選択も安定志向も、どちらも生存に必要な重要な能力であり、優劣はありません。

「中央値(平均・規範的選択)への収斂」による女性の画一化(多様な価値観の排除)

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