ステレオタイプと習慣について
「それはステレオタイプな表現だから良くない」というフェミニストの主張を見たことがある方は、少なくないかもしれません。
しかし、ステレオタイプな表現が人間の選択にどのような影響を与えるのか、その因果関係が十分に証明されているとはいえませんし、「普遍的に正しい」規範や価値観は存在し得ないため、それを強化するかどうかも明らかではない表現に対して、法や規制で制限することに違和感を持つ方もいるかもしれません。
英国の広告標準協議会による「悪しきステレオタイプ」表現の禁止
英国の広告標準協議会(ASA)は、家事・育児の担い手の性別固定化や性別による能力の格差を描くこと、男児は「冒険的・積極的」、女児は「配慮的・育てる側」といった性別ステレオタイプを対比することや、人を性的に描写することなど、「特定の(悪しき)ジェンダーステレオタイプ表現が、人々の能力や選択肢を制限し、社会的な不平等につながる危害を及ぼす」とし、2019年6月より、「広告は、害を及ぼす、または深刻・広範な不快感を与える可能性のあるジェンダーステレオタイプを含んではならない」「広告は、女性を性的対象として提示したり、視聴者を刺激する目的で性的かつ客体化された方法で描写したりして、女性をステレオタイプ化すべきではない」という基本ルールを設け、「固定観念を強化し、不利益や偏見をもたらす危害のある表現」を規制対象としました。
権威的な立場の男性司会者が家庭用品の説明と実演を行い、数人の女性がその製品を使って家を掃除した個人的な体験談を語る広告が、家の掃除は女性の責任であり、男性はその責任を負わないという有害なジェンダー・ステレオタイプを助長するものだと判断された。
「変化への適応」をテーマにしたフォルクスワーゲンの広告は、宇宙飛行士や跳躍するパラアスリートたちを描く一方で、最後に母親がベビーカーの横で座っているシーンを配置たことを「男性=アクティブ/過酷な挑戦」「女性=受動的なケア役割」という対比が固定観念を強化すると判断され禁止された。
これらの規制に対しては、支持だけでなく、批判や疑問の声もあります。批判や疑問の論点としては以下です。
規制基準では「ユーモアや自虐だからといって免責されない」とされているため、「ちょっとした冗談や日常のクスッと笑えるあるあるネタまで過度に狩り取られ、広告表現からユーモアや人間味が失われる」という批判
商業的表現の自由に対する行き過ぎた介入であり、政府機関・規制当局による「価値観の押し付け」であるという表現の自由の観点からの批判
15秒や30秒のテレビCMや数枚の画像広告が、社会的な不平等や個人の人生選択に直接的な「危害」を与えるかの因果関係が立証されているとは言いがたいという実証的観点からの疑問視
いずれにしても、英国の広告標準協議会(ASA)は、「言葉遣いや文脈が、個人の選択肢や可能性を制限する危害になり得る」という社会心理学・予防的観点から、詳細な規制基準を設けているといえます。
効率化・習慣化した無意識としての「ステレオタイプ」
認知心理学や社会心理学では、ステレオタイプを「悪意」や「偏見」としてではなく、「処理能力に限度がある脳が世界を効率的に理解するためのカテゴリー化機能」として捉えますが、ジェンダー論では、ステレオタイプは基本的にネガティブなものとして解釈されます。性別は人間の属性の中で「最も目立ち、一瞬で認知できる分類軸」であるため、脳が最も省力化に利用しやすいステレオタイプであるため、生物学的な男女の傾向がステレオタイプとして社会で再生産されるリスクに主眼が置かれるのです。
人文系や社会学のフェミニズムの多くが、性差は社会や文化によって作られたものだとする「社会構築主義」を前提としており、生物学的な男女の傾向がステレオタイプとして社内で再生産されることは「間違っている」という基本姿勢があるためか、ステレオタイプの「不可避性・機能性」そのものを主題にして理論化・擁護する方はほとんどいません。
しかし、人間の脳のキャパシティ的には、行動の習慣化や無意識化は避けられません。多くの人は歯磨きをしたり、ペットボトルの飲料を開封して飲むなどの日常的な動作を、注意を払い工程を確認しつつ行うのではなく、習慣的・無意識に行っているでしょう。
二重課題実験を用いて、ステレオタイプを提示・活性化させることで余剰の認知リソースが生まれ、並行して行っている別の課題のパフォーマンスが向上するかを調査した実験では、ステレオタイプラベルがあった群は、なかった群に比べて副課題の成績が有意に向上しただけでなく、主課題である特性語の再生記憶も向上しました。
もちろん、ステレオタイプに認知的な機能があることは、その内容が正しいことや、社会的に望ましいことを意味するわけではありません。しかし、「ステレオタイプ=排除すべき偏見」とだけ捉えるのではなく、人間が限られた認知資源のなかで情報を処理するためにカテゴリー化を行うという側面まで含めて考える必要があります。
ステレオタイプは複雑な社会的環境の情報を簡略化して処理するためのツールであり、ステレオタイプを適用することで処理の負担が軽減され、節約されたリソースを他の精神的活動に振り向けることができるのです。また、このリソース節約は、意図的にステレオタイプを使おうとしなくても、無意識的に脳が活性化された段階で発生するため、意思や理念で制御しきれるものでもありません。
人間が日常的にステレオタイプ的思考を行ってしまうのは、単に偏見や無知によるものだけではなく、限られた認知リソースを効率的に配分して複雑な社会環境に適応するための進化的な仕組みであり「脳の省力化・自動処理のメカニズム」として機能するのです。