「ジェンダー」以前の問題
前回まで、フェミニズムの歴史を踏まえながら現代のジェンダー問題を振り返ってきました。
それでは、「ジェンダー」という言葉は、どのように生まれ、どのような思想的変遷を経て現在の概念へと変貌したのでしょうか。
ジョン・マネーと「ジェンダー」の誕生
デジタル大辞泉によれば、ジェンダーには「文法上の性別」と「社会的・文化的に形成される男女の差異(社会的性差)」という二つの意味があります。
「ジェンダー」という言葉の語源は、ラテン語で「種類」や「分類」を意味する "genus" で、英語圏やフランス語圏では「文法上の性別」を指す、言語学の用語でした。
この言葉が人間に適用されたのは1950年代、性科学者ジョン・マネーの臨床から始まります。忘れてはならない重要な事実として、「社会的・文化的に構築される男女の差異」を意味する「ジェンダー」という言葉は、誕生からまだ80年も経っていない、歴史の浅い概念なのです。それ以前の人類には、生物学的な性を表す「セックス」しか存在しませんでした。
マネーは、生まれつき雌雄の判定が難しい「性分化疾患」の子供たちの治療を通じて、「環境さえ整えれば、人間の性差は100%後天的に書き換えられる」という仮説を立てます。彼は、ジェンダー概念を、性自認・性役割・性的指向を含む包括的な「傘」のようなタームとして定義しました。さらに、人間が社会の中で獲得していく性役割や行動様式を「ジェンダー・ロール」と定義し、これが性自認を決定づけると主張しました。
その後、精神分析医のロバート・ストーラ―によって、セックス/ジェンダーの区別が定式化されました。彼はマネーが混然と扱っていた概念を、内面的な自己認識である「性自認(ジェンダー・アイデンティティ)」と、表出された社会的行動である「性役割(ジェンダー・ロール)」に明確に切り分けました。性自認と性役割が分離されたことによって、思考や行動といった心理的現象を、生物学から切り離して議論する理論的な土台が整ったのです。
ストーラー自身は精神分析医だったため、心理的自認の形成には生物学的な要因も含まれると認めていましたが、環境が決定的な役割を果たすと位置づけていました。
第二波フェミニズムによる政治利用
1970年代、ケイト・ミレットやアン・オークリーら第二波フェミニストは、ロバート・ストーラーの「セックス/ジェンダー」定義に依拠し、父権制や女性を家庭に縛り付ける既存の性役割を批判しました。
「セックス(肉体)とジェンダー(環境・心理)は切り離せる」という視点を導入することで、ケイト・ミレットはフェミニズムの問題領域を生物学的な基盤から文化の領域へと移行させました。アン・オークリーは、「妊娠と授乳がある」ことが、妊娠と授乳以上のことを女性に要求するための正当化に用いられていることを指摘し、「セックス/ジェンダー」という二項対立のフレームワークを社会学やフェミニズムの分野に本格的に導入しました。
第二波フェミニズムにおける「セックス/ジェンダー」の枠組みからわかるのは、ジェンダーとはそれ自体として積極的に定位される概念ではなく、むしろ生物学的なセックスではないものとして、消極的・相対的に規定されるということです。

「ジェンダー後天説」の崩壊
しかし、このジェンダー論の根底にあった「ジェンダー後天説(環境決定論)」は、早くから科学的な破綻を迎えていました。
マネーの「ジェンダーは後天説」を真っ向から批判した性科学者のミルトン・ダイヤモンドは、出生時の脳にはすでに「性自認の基礎」が書き込まれており、環境や教育だけで性別をコントロールすることは不可能だと考えていました。そして、マネーが「完璧に女の子として適応した」と大々的に発表し、世界的な名声を得ていた実験(割礼の事故で陰茎を失った男児を女の子「ブレンダ」として育てた事件)の経過報告が、虚偽・捏造であったことを暴き出したのです。
ダイヤモンドは成人したデヴィッド・ライマー本人を探し出しました。そして、彼が女性(ブレンダ)として育てられたにもかかわらず、自らを女性として受け入れることができず、最終的には男性として生きることを決意していた事実を明らかにしたのです。マネーの倫理を欠いた実験報告の嘘が告発されたことで、「環境が性差を決定する」という「ジェンダー後天説」の主張は、医学・科学的には完全に崩壊しました。
第三波フェミニズムによる「セックス」の矮小化
それでは、1980年代以降、ポストモダン思想を経由した第三波フェミニズムにおいて、「セックス/ジェンダー」はどのように変化したのでしょうか。特に重要なのは、ジェンダーに関する研究者ではないが第三波フェミニストたちに多大な影響を与えたミシェル・フーコーと、ゲイル・ルービン、ジェーン・W・スコット、そしてジュディス・バトラーの主張です。
哲学者で思想家のミシェル・フーコーは、性が抑圧されてきたのではなく、医学・精神医学・教育・司法などを通じて人々の性について語る「言説」が大量に生み出され、その結果として性が管理・分類の対象として「生産」されたとみなしました。そして、「生物学的な性(セックス)」も普遍的・自明な概念ではなく、人間を分類・管理する近代の生権力のもとで形成された「性の装置」によって構成された概念であるとしました。
文化人類学者のゲイル・ルービンは、マルクス主義や構造主義人類学を応用し、人間の生物学的差異を社会制度へ組み込む「セックス/ジェンダー・システム」という概念を提唱しました。そして、このシステムを通じて女性・男性という社会的カテゴリーや役割が構築され、女性の従属的地位が再生産されると論じました。
歴史学者のジェーン・W・スコットは、「肉体的な差異(セックス)が、なぜこれほどまでに社会的な重要性を持つのか?」という点に着目し、ジェンダーは、権力関係を意味づけ、構成し、表現するための主要な記号であると論じました。
この流れを極限まで推し進めたのが、哲学者のジュディス・バトラーです。彼女はフーコー、ルービンの言説に依拠し、かの有名な「セックスはつねにすでにジェンダーである」という言葉によって、「自然な生物学的性」は自然に存在するのではなく、ジェンダーによって事後的・遡及的に、自然なものとして意味づけられると主張しました。また、「ジェンダー」は、セックス・ジェンダー・セクシュアリティを女/男の異性愛の二元論的思考によって理解可能にする枠組みであるとしました。そして、ジェンダーは反復的なパフォーマティヴィティ(遂行性)によって成立するものであり、その反復をずらす実践によって二元論的秩序を攪乱する可能性があるとしました。

こうして、第三波フェミニズム以降は、「セックス」は自然な事実ではないことになり、「ジェンダー」は歴史を分析するための道具・社会的に構築された権力の枠組みとして理解されるようになったのです。
権力装置としての「ジェンダー」によって周縁化されるもの
第三波フェミニズムやポスト構造主義以降、「ジェンダー」の概念は単なる役割分担の枠組みを超え、社会の「知の体系」や「権力関係」を解体するための強力な武器として語られるようになりました。しかし、「ジェンダー(言説・文化)」は「セックス(生物学的性)」に対し優先されるとする「社会構築主義」が主流化したことで、現代社会にはいくつかの弊害や理論的混乱が生じています。
①生物学的「オス/メス」の不可視化
「肉体すらも言説によって作られたフィクションである」とする観点が優位に立った結果、生物学的な「オス/メス」としての身体的差異や、それに伴う固有のニーズが不可視化されています。
人間の身体は、遺伝子、ホルモン分泌、臓器の構造などにおいて、生物学的な性差の強い影響を受けています。主観やアイデンティティを優先するあまり、生物学的な性差を軽視する言説が強まると、性差医療(特定の疾患の発症率や薬の副作用の男女差など)の進展を阻害し、すべての人間の健康リスクを見誤る危険性があります。
また、生物学的な「オス」としての骨格や筋肉量を持つ身体が、主観的なジェンダーのみを根拠に「女性スペース(避難所、更衣室、スポーツ競技など)」にアクセスすることを無条件に認めようとする動きは、生物学的な「メス」の身体が持つ物理的な脆弱性や安全確保のニーズと衝突し、現場の運用に深刻な混乱をもたらしています。
②統計や科学よりもイデオロギーが重視される歪み
「ジェンダーは権力構造である」というイデオロギーが客観的事実に対し重要視された結果、不都合な統計データや実証研究が無視、あるいは政治的に抑圧されています。
ジョン・マネーの「環境決定論」がのちに否定された歴史が示すように、人間の性行動や認知には生物学的な要因(脳の性分化など)も関与しているという実証研究が、「性差別的である」という政治的なレッテル貼りを恐れてタブー視され、学術的な客観性が歪められています。
社会科学や統計分析の場において、「格差の原因はすべて社会構造(家父長制)にある」という結論があらかじめ用意され、それに反するデータが過小評価される傾向があります。
③「有害なステレオタイプ」への回収と中央値の否定
本来、フェミニズムが目指していたのは、「男の身体を持っていても、弱音を吐いたりピンクが好きでいい」というステレオタイプからの解放だったはずです。しかし、ジェンダーをセックスに対し優先した結果、既存のステレオタイプに当てはまらない性質を持つ人を「性自認の揺らぎ」へと直結させ、安易にトランスジェンダーの問題として扱う傾向が生じています。これは結果として、「男/女」のステレオタイプ的な境界線をより強固に引き直してしまうという弊害を招いています。
さらに、現在の主流派のフェミニズムやジェンダースタディーズは、生物学的な中央値の差やホルモン・骨格の影響による再現性のある傾向差(統計的事実)まで、「社会的に作られた偏見」の枠内に回収し、批判・否定しがちです。
例えば、テストステロンがもたらす空間認知能力や攻撃性の傾向差、骨格による身体能力の差など、男女の生物学的傾向差を批判する際、以下のようなレトリックが使われます。
「男性並みに腕力の強い女性もいれば、女性並みに腕力の弱い男性もいる。分布は重なっているのだから、男女という二分法で傾向を語ること自体がステレオタイプであり、差別的だ」
統計学的には、集団としての中央値や平均値に有意な差が存在することは事実です。「(重なりや外れ値など)例外があること」は、「集団としての傾向差が存在しないこと」の証明にはなりませんが、一部のフェミニストやジェンダー論者はこの2つを意図的に混同し、傾向差そのものを周縁化しようとします。
④「環境決定論」への循環論法
マネーの「人間の性は環境で100%決まる」という説が科学的に否定された後も、現在の主流派のフェミニズムやジェンダースタディーズの思想空間では、環境決定論の優位性が維持され続けています。
そこでは、「ホルモンや骨格に差があるように見えるのは、社会が幼少期から男女に異なる運動や食事、行動を強いてきた結果」であり、あるいは「その実験データ自体が男性中心主義的な科学によって歪められている」という、陰謀論に近い主張すらなされています。
「ジェンダー」以前の問題への回帰
批判されるべき権力装置としての「ジェンダー」によって、ホルモンや骨格、肉体の生理機能がもたらす不随意の欲求など、動物としての人間に備わっている“下部構造”が軽視されています。
本来、平等とは「生物学的な傾向差が存在することを認めた上で、それによって個人の権利や尊厳が差別されない社会をどう作るか」という二段構えで議論されるべきものです。しかし、現在の主流派のフェミニズムやジェンダースタディーズは、「事実の承認」と「差別の抑止」を混同しています。その結果、「差別をなくすためには、中央値の差という事実(ファクト)すらも『有害なステレオタイプ』として排除する」という、非科学的なドグマに陥っているのです。
このような、「科学的・統計的事実の否定」が起きているからこそ、「ジェンダー」という言葉が作られる以前の生物学的、統計的、科学的事実――「ジェンダー」以前の問題に、もう一度立ち返る必要があるのです。
〈今回の要点〉
「ジェンダー」という概念の人工性と歴史の浅さ
初期の根拠であった「ジェンダー後天説」の科学的破綻
ポストモダン思想による「肉体(セックス)」の事実の矮小化
統計的ファクトの否定と「環境決定論」への循環論法
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